マインドフルネスセルフコンパッションワークブック
マインドフルネスセルフコンパッションワークブックを読み始めて
一つ目の気づきは、友人に声かけをする時と自分に与える声掛けの違い。
友人に対する時は、なにがあったの、どう思ってるの?とか今の感覚を丁寧にまず聞こうとする。つまり今にいる。
他方、自分に対して何かをしてしまったときの声かけは死にたいとか思考の時間軸はストップするか、もっとこうした方がいいどんどんこうすべきの提案で思考が未来へ飛んで今をすっ飛ばして今にいない。今に向き合えないことが病識の一つである。焦ってるのかな、余裕がない感じ。
よく聞くのが偏った見方にハマって抜け出せない状態が障害者の特徴だという。
両極端に思考が振れる。でもそれは人との関わりが少ないと自分の思いに固執しやすいという環境要因があるだろう。
障害者とは何なのか、完治しないとは私は思わない。
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30代になって気付いたこと
私は応援されるような人間じゃないってこと、待てば海路の日和ありは、私には当てはまらない。
待ってれば奪われていくだけ
言わなければ何もないもののように通り過ぎて無能と思われて置いていかれる
自分で動かなければチャンスはやってこない上に、チャンスを掴もうとするとそっぽを向かれる。むしろ卑しいものとして扱われる。繋がり、仲間が欲しいと思うことは普通だろうに。私が言うと、狙ってるという表現にされてしまう。腹立たしい、
いやあねえガツガツしちゃって。そうやって、何をやっても悪く捉えられる。いや、彼らは悪く捉えたいのだろう。
だから、資格が必要なんだ。ぶつくさ言う彼らに振り回されない自分であるためにも。障害者となり薬を処方されると、途端に自分の権利は奪われる。何を決めるにも支援者という、私のことをさして知らない人間たちを数年という単位で満足させなければならないその間、社会人に戻る時間もきっかけも考え方も価値観も奪われる
彼らを振り切って夢を追うことの葛藤をどうしたらいい、この苦しみを誰に話したらいい、話す必要なんてないのかもしれない。背中で語れるようにならないとな
傾聴
精神障害者って、なんなんだろうね。
私は存在しないものだと思っている。
努力の仕方も知らないままに努力を放棄し諦めを覚え他者に依存し、奪い取ることに終始する者や、未知の分野での価値創造に希望を企む者や、社会から歓迎されない個性を持ち合わせたがために社会から弾き出される者、どれもさ、工夫次第で精神障害者ではなくなるだろう?
潜在意識の中、甘えが潜んでいることは否めない。私は、甘ったれだ。ぬるま湯から出て風邪を引いてる。
障害を意識することすらない社会を私は提唱する。
障害者を庇うのではなく、障害者という価値意識すら生まれない社会に。強みを活かしあい、でことぼこを埋め合わせてフラットに生きやすくするこの話を10年以上前就活の面接で話したけれど、社会はまだ変わってない。障害者も変わってない。いや、安易な障害者は増える一方だ。
それに、その時、障害者は自分と真正面から向き合う必要が出てくるだろう。潜在意識を顕在化させる程に、なぜ自分はこう考えるのか、なぜ、私はこの行動を取るのかなぜ私の眼はそれを目にし記憶に留めるのかそして、全部意識したら、過去を放り投げて、これからどうしたいかだけに向かっていく、毎日のカリキュラムを作っていく。そういう話が出来る人と出会いたい。新説を発表すると、大学生の時Twitterで豪語したけれど、一つの新説はこれだ。統合失調症にみられる認知機能障害は体育の先生である森谷先生のレクリエーションコミュニケーションスポーツの授業を受ければ一発で治った
食事睡眠運動をコントロールしてホルモンを安定させ、理想と現実をすり合わせ程よい目標を持ち、報酬、達成感を得ること。現実の課題をクリアし成功報酬を積み重ねていくこと。
願いを持ち、ドーパミンはやる気を出させるホルモンだが願いが叶わない時、人は怒り、悲しみ、後悔し、絶望し、苦しみ、不安になり地団駄する、葛藤が生まれるんだ。ザラリと脳の中砂が流れていく感覚を感じるんだ
高すぎる望みと叶わぬ夢の連続で、
脳のジレンマが私の統合失調症の正体だ。
願いが叶っていけば、なんでもない、ただの成功者にすぎないけれど、それを邪魔する社会の仕組みが、常識という名の流行があった、
認知症になる原因が脳梗塞だったりアルツハイマーだったりするように、統合失調症になる原因も一つではないだろう。
ただ、言えるのは人は経験の積み重ね、感情動線の積み重ねで出来ているのであって、たった今の脳だけをクローズアップしてドーパミン異常、脳の障害などと言ったところで治すことなど出来はしないだろう
治るよ。完治する。
心配ではなく、信頼を。
戸惑いではなく笑顔を。
客観視ではなく特別を。
特別ではなく愛情を。
暴れまわる人を心が綺麗だと思ってごらんよあなたは優しい人だと、そうして、話を聴いてあげて。
ハッピーエンドストーリー
精神障害者は生きてる価値ないよ生活保護貰ってる奴らばかりだけれど、その国のお金を奨学金に当てられたなら、どれだけの子ども達の未来が変わると思ってる、
脳は使われてない部分が大半だというのに、脳の障害って、なんだよ、使う訓練をしてないだけだろ、潜在意識のレベルで、努力することを放棄してる変わりたいと思ってないし、変わらない方が得だと思う方を選択してるにすぎない。彼らに必要なのは、意識を変えさせることと、訓練だ。信念と基準を持つ事だ。
私は本気で変わりたいと思った時、変わってきたし、色々な自分になってきた。小学校、運動神経は良くなかった。でも、ある日突然、ドッヂボールのボールを取って当てることができる様になった。チームに入れてもらうのも、敬遠されるくらい能無しだったのに、いきなり、俊敏になったんだ。そして、気付いた。私は友達を庇っていただけなんだって、運動ができない友達とばかり遊んでいたから、自分の能力を押さえ込んでいたんだ、そして、運動ができないと思い込むことで友達を失わない様にしていたんだ。でも、あの日、私はその子よりも大切なものに気づいてしまった。あの日から私は変わった。
中学、勉強ができるようになったのも、真面目に勉強しない生徒は上級生にボコボコにされるって、中学の噂を聞いたからだ。誰だったか、支援者は笑ってた真面目じゃないとリンチなの?って、けど、それぐらい、真面目な生徒が多かったってこと、学校の名を落とすような生徒はリンチに合う。
爪弾きにされる。身を立て名を挙げやよ励めよ。卒業式のたびに聞いた、歌った曲、
それが、田舎だ。そこで学年7位だったことは、都会の高校で一位だったことよりも誇りに思ってる。塾の全国模試もほぼ満点だったしね。
小学校で忘れ物が多かった私が、高校で授業を再現できるくらい暗記できたのも、変わりたいと本気で思ったからだ。理想を思い描いて完璧であろうと、毎日毎日授業が始まる前延々と祈ってた。正確な言葉を話して、会話を覚えて、嘘ではないと証明することをわたしは自分に求めた。あと、当事者意識ね。自分だったらこう教えるなって、そうやって、授業を聞いてた。つまり、人は変われるんだよ。
話を戻そう、障害者は障害と呼ばれるような脳の使い方しかしてこなかっただけだ。そこに障害があるわけではない。使ってないだけ。求めてないだけ、工夫してないだけ、鍛錬する意識がないだけ、だから、庇う必要なんかない。居場所がなくなって、本気になったら、変われるさ、下手に庇うから自分で考えなくなるんだよ。そこで死ぬなら、それまでのこと、それが自然淘汰というものだ。もっと、自然の中で生きたらいい。人生とは闘いなんだよ、篩いにかけられてる事を忘れるな
生きたいなら考えて、工夫して価値を生み出すんだよ、医者や薬に支配されて悔しくないの❓いつから馬鹿にされても、俯く様になった?いつから笑われてもそうっすよねって笑う様になった?いつから夢を捨てた、いつから、社会や人のせいにする様になった?
生きてる価値ないって、言われて、酷いって、思ったでしょう。反感を持ったでしょう。つまり、あなたは自分を守りたいんだよ。じゃあ、本当の意味で自分を守るって、どういうことだと思う?
生きてるだけでそのままで良いって、言ってくれる人はいる。けど、障害者として生きて、頑張らなくていいって言われて、頑張るのを辞めてただ毎日を過ごして、そんな時に、同世代の働いてる、結婚してる、多くの権利を持ってる健常者の同級生を見た時、あなたはどう思う?会社の同僚に、近所に、近くに、そんな人がいて、あなたは、どう感じる?嫌味だと受け取ったり、自分が惨めに感じたり、ネットで叩く人もいるかもね。人の足を引きずり落とそうとするだろう?始まる噂話、不幸自慢、秀でるものを妬む集団、そのままで良いって言われて、満足したあなたは、
人の幸せを心から喜べる人でいられる自信があるか?
心から喜べないなら、あなたは現状に満足などしていない。変わりたいと思ってる。本当の意味で自分を守る方法は、薬を飲んで眠ることじゃない。不安になった原因に対処できる様になることだ。自分の価値を信じて、望む達成感を味わって、喜びを感じて
挑戦し続けるしかないんだよ。変わり続けるしかないんだよ。それが人だ。
医者は変わることはできないと判を押す。脳の大半は使われていないというのにね。、医者が患者を生み出しているんだよ。ルソーも言ってる。
仰げば尊し
昔、なぜ、卒業式で仰げば尊しを歌ったか、わかる?
身を立て名を上げやよ励めよ、
逆に言えば、恥ずかしいことをするな、町の名を汚す様なことをするな、学校の名折れとなることをするな、学校に、町に、家族に、友人に、誉を帰せよ。そういう意味が込められてる。
町に住む人間が町を形作る、穢れた人間がいれば町が腐る文字通り、ポイ捨てしたりとか、汚れる、悪意に満ちた余裕の無いものが増えれば犯罪が蔓延する、なあなあな人間が集まれば秩序は泡と消える
人は社会性の上に成り立ってる生き物だ、仰げば尊しを理解し、歌うのは必要だと思うが。
今、基準がバラバラになってる、個人個人で家族単位で、その中で人を傷つけることと面白さを天秤にかけて、面白さを選ぶ人間が余りにも多い、
カプグラ症候群の頭の中
全ての細胞を従わせることができる人が現れた時そのものは世界を穏やかに制すだろう。
悪で満ちる時文字通り地球が壊されるなら、愛で満ちる時、地球が、母体が、大陸が、宇宙ができる。
地上は繁栄と滅びを繰り返してきた、
今が最新だなんて誰が決めたの?
時は過去→未来へ流れてはいないよ。
時が過去から未来へ流れているように感じているのは人の中のことだ。
そして磁場が正常値に留まっている場合の話。地球の傾きが変わったら、磁場が乱れたら、時は狂い出す
その世界を
私は見た
時間は平等に流れてはいない
神は一番外側にある
宇宙は大中小マトリョーシカの様に存在している
いずれくる、努力と成長の先にある幸せを神は知っているから
いちいち人を助けたりはしない。
自分の欲のために神に従っているものに神は奇跡を起こさない
なぜならもし、悪霊が神と同じ様に振る舞った時、そのものは容易く悪霊について行き、結局のところ多くの人なり、ものなりを、危険な目に遭わせるからだ。
2015年