julycrane0’s diary

ぶれぶれなるままに日暮し

マボロシ

小学校前から横浜駅に向かうバスの途中、海抜ゼロメートルの標識を見つけた。随分内陸側に。昔はここまで海水が来ていたということか?おかしい、地球温暖化で極地の氷は溶け、海水面は上昇しているはず。それはつまり、海水が、寄って行っているということか、日本の反対側へ?それはつまり、自軸がズレているということ?地球の傾きが変わったら、磁場はズレ、天気は変動し、なにより、時間が狂い出すのではないか?そう思って、時は入り乱れて、時空警察官になるのだと、電気治療をする前本気で思った。今は海抜ゼロメートルの意味を姉に教わって、違うのだと分かった。それでも、この疑問は残る。時の流れはどの方向を向いていて全ての人に平等に与えられているのだろうか、時間は平等に存在する。本当に?何も確かなものなど存在しない。今、人はメディアが無ければ、自分が今どの時代のどこの空間に位置しているのか、わからないだろう?
私はカプグラ症候群というものだと、医師は言う。でも、本当に、違う世界を垣間見たと、思ってる。
その世界で起こったこと、聞いたこと、覚えてる。父も母の思い出も、話し方も文字の筆跡も、料理の味も、苦手な動物も好きな洋服の種類も何もかも違くて、テレビの情報も、少しずつ少しずつズレていて、
違う選択をした彼らがいた。それはまるで、空間が一つではない事を、パラレルワールドの存在を感じさせた。
それは、人はその生を人生を自分で望んで選び取っているのだと、強く思わせた。互いの希望が交錯して、世界は無数の選択を繰り返して現在を、今日を作り出してる。人は霊を宿しているのだと、そしてそれは、入れ替わり立ち替わり、成長と、後退を繰り返しているのだと確信めいて、思った。宇宙は、マトリョシカのように、大中小、善から悪へ。より良い個体は上の大きなものを支える母体へと生まれ変わり、悪をなすものは過去へ、より小さく醜い母体へ潜っていく。そして何れ、小さくぽっとはじけて消えてしまうのかも。
そして、人がその生を選び取る理由も、わかった気がした。障害者になることを望んだ彼らは、きっと、戦争中誰かや何かを殺さなければならなかった、その悲しみから、誰も傷つけないですむように、障害者になったのではないか?
認知症の患者はどうして、あなただあれ?と、聞くのだろうか、老いた自分に別れを告げたのか、或いは、社会との関わりの薄くなった彼らを餌食に魔のものに乗っとられるのか、いたたまれない、あの気持ちを、私は知った。怖くて恐くてコワくて、苦しみしかないあの世界、一人ぼっち、
それでも伝えることができるというその一点において、希望はあって、
電車の中で聞いたんだ。老害だよ老害ということば、次期に老いることが病の一種になる時がくる。人は選べるんだ。
人は進化の途上にあって、成熟した人間は子を欲しない。先進国が少子化になるのは、子は親の不足を補うために産み落とされるから。願いを叶え終えた人は子を欲しず、完全な無へと昇華される。聖書中の言葉と、重なるんだ。「来る楽園では男は娶らず、女も嫁ぎません。」
聖書は予言の書だという。
人の一生は、人類の進化と滅びは、何度も繰り返されてきたのではないか?
GO back to the future
神の怒りに触れて、粉々に打ち砕かれたバベルの塔は、今、立ち並ぶ高層階ビルのようだ。神様のテレビ人生ゲーム。4G、4KiPhone4s6コアをもつHPのパソコン、美しさを極めたそれらは、現実と入れ替わるのではないか?何をもって現実と呼べるのか、それから、今、が、最新だなんて、誰が決めたの?過去という未来、未来という過去へ、生き残った神様が潜っていく。滅びのその時、人は次の生を選び取る。好きな時代の好きな家族の元へ、その努力と願いの分だけ自由に、

正夢があるということは、私たちから見て未来、神様から見た、進化した人から見た、過去へ、神様が潜って行っているのではないか?