julycrane0’s diary

ぶれぶれなるままに日暮し


提案があります。不快に思っていることを全員で意見する場を作ってはどうでしょうか。ここで働く理由は、次のステップへ進むため、つまり、自分の至らない点に気付いたり新しい可能性を見つけるため、成長のために私たちはA型作業所で働いているのですから、互いの成長のために、互いの欠点を改善するよう促すのは必要なことだと思います。もし、その主張が思い過ごしであるならばそれもフィードバックされるべきです。

そう、提案した。

それから、思った。

株式会社に、精神保健福祉士社会福祉士がいたらいいのかもしれない。メンタルケア。学校にスクールカウンセラーだけでなく、スクールソーシャルワーカーという問題解決型の人員が導入されたのと同じ様に、会社にも産業カウンセラーだけでなく、メンタルマネジメントをする人がいたらいいと思う。昔だったら組合がその役割なんだろうけれど、

 

スクールソーシャルワーカーとは、スクールカウンセラーが子供のメンタルの課題を見つけ出し、それを解決するために具体的にどの機関と連携を取りどう動くかを決める人のこと。育児放棄のネグレクトの問題や虐待の問題を抱えている子たちを支えることが多いだろうけれど、私はそれだけじゃないと思ってる。もっと、居場所だったり可能性を広げる価値観の構築だったりを一緒に考えて行ってあげたい。

 

話を戻す。虐めってさ、なんで起こるか、

1、虐めはその連帯感が心地いい。一つのことに向かって意見を出し合って切磋琢磨する情景のからくる高揚感

2.虐めを確定させるのは傍観者たちの方がその力を持ってる。いじめっ子一人だけでは虐めは成り立たない。

3.虐めを認知できるいじめられる側の賢さ。反復行動は2、3才の子供でもできるそれをし返さないのはいじめられる側の賢さ。

4.見た目、雰囲気による住み分け、差別意識

5.教師から権威者からの期待を感じ取る周囲の傍観者

 

今わたしの職場の問題は、複数人が一人に対する反感を共有するという、高揚感が生まれいて、それを楽しいと感じている人が少なからずいる事だ。どうして感情が先走るんだろう。私は話し合いの場を提案して、どうやら開かれるみたいだけれど、どう転ぶか分からない。

 

虐めが始まらないことを祈る。

 

小さい頃は大人になったらすいもあまいも嗅ぎ分けて虐めなんて起こらないものだと思ってた。でも、違うね。

会議室のいざこざは、まるで幼稚園児のそれと変わらない感情論争だ。この子が好きだからこの子の言うことは聞くけどこの子は嫌いだから正しいかなんてそもそも考えないで切り捨てる。そんなやりとり。

大学の時幼稚園にボランティアに行っていたけれど、卒業して大手、中堅企業に勤めて、それから教育実習も行って、高校の職員会議にも参加したけど、感情論争ばかりだった。

 

そらいじめも無くならんわ。

 

生きて行くのが嫌になった。

 

でも、今ここで自分を殺したら、私を支える全ての細胞を裏切って死んだら、次の生は醜いものになりそうで、必死に生きてく決意をした。