julycrane0’s diary

ぶれぶれなるままに日暮し

野末先生

そもそも私の発想の、症状と言われるものの、根源にあるのは、人を信用できないという思いだ。人は容易く感情や行動を変える。だから、自分を守るために私は思考を巡らす。ずっといじめられてたから怖い悪意を抱く人が周りに多かったから。怒ったと言ったが、私が怒るのは、気を許している証拠でもあったんだ。いつも、家に母がいる時しか切れたことはなかった。それも、大学3年の頃統合失調症と診断された後のことだ。私が戦ってたのは、そういう通念だ。自分の可能性に蓋をしようとする何かと社会の周りの圧力、見た目の役割で、不幸のシンボルでいなければ人に、社会に受け入れてもらえないということに勘付いた苦しみ

さんに話す内容、これからは吟味した方がいい自分の発する言葉に責任を。万俵先生の言葉を思い出す。

私が見てきたものを知らないから平気で薬を飲ませようとするんだ

高校、オール5をとったあの時も私が戦ってたのは病気じゃない。薬だ。薬の効能を抑えようとずっと、祈って、エホバに祈り続けて、まるで言葉のわかるロボットを作る時の様に事細かく念入りに自分に神に祈り続けたでも薬と意志の拮抗は私の脳の限界を教えてくれた。ある日、プツリと記憶できなくなったんだ。それまでは、先生の言ったことを一字一句覚えていて授業を反芻できた。けれど、嫌なこともはっきりと覚えすぎていて忘れられなくて、でもある日から、私の思考は鈍くなった。あの時、私は統合失調症の症状と言われている、認知機能障害を起こしていたと思う。いわゆる、鈍い人間に急になったんだ。でも、振り返ってみると、あの時、私は恋をしたんだ。先生のミスを指摘したり正しさを主張すること、

覚えすぎる自分に嫌悪感を感じた。小林くんに嫌われたくなかった。だから、私の意思のままに、記憶力は停止した。意志が停止した途端、薬がどっと、私を支配したんだろう。

薬を飲む前、中学、私は自分でいうのもなんだが、賢い子どもだった自分で考えて行動できたし、人を楽しく笑わせることもできたし、相手を守る嘘もつけてた試験の時もあらゆる思考を統制していたのを覚えている。今あの力があったなら、、

私は、クラスの誰よりも早く大人に近かった。

大人の理性や、穏やかさを中学生の頃には身につけてた。言葉遣いも。黒柳徹子に似ていると言われた。何が善で何が悪かも理解してた。それは、エホバのおかげ、聖書と無数の冊子のおかげ、週3度、集会に毎日の奉仕に連れて行ってくれたそして毎日寝る前にテープを聞かせてくれた母のおかげ。でも、学校の周りの幼い同級生には理解されず、違う、彼らは理解したくなかったんだ。いじめる理由が欲しかっただけだろう。可愛い可愛いと言われチヤホヤされる私を陥れる何かを、そして、虐めは始まった。

だから、高校入学時、私は正しさと、正義と、優しさを求めた。誰にもつけいられない完璧さを目指したんだ、あいつらが流した噂が嘘であると、証明する為に。それは、融通の効かない糞真面目な堅物を生み出したけれど、それは私が望んだことだった。わたしはいつも、自分の意思で石を持ち上げた。文字通りの障碍者だ。石を得る者。

 

 

 

 

わたしは、広瀬さんの料理当番の時、血の匂いがする。と、部屋でボソリと独り話した。

本田さんが芸能ばかりの噂好き女で嫌だとも部屋でボソリと呟いた。そしたら、広瀬さんは料理当番を休んだし、本田さんもご飯の時こなかったり、今までにない、話す内容も、わたし賢いのよと、マウンティングをしてくる様になった。それが、盗聴されてると思った理由。

ああいえばこういうのは良くないと野末先生は言った。言葉尻を捉えるのは良くないと、

違う。

私はずっと考えてきたんだ。売り言葉に買い言葉ではない。

ずっと、ただ生かされることに疑問を感じてたただ息をすることに私は何の喜びも見出さない。そのことを考えてきた、呼吸するだけの生き物、それは、生きているとは言わないああ、言葉が消えていく、薬を飲むといつもこうだ、

野末先生は私の話を一切聞くことなく、怒ったのは薬を飲まなかったことが原因だと決めつけて薬を変えますと強い薬を出した私の怒りがどこからきたものか確かめもせずに、私は馬鹿じゃ無い怒りを表していい人とそうじゃ無い環境の区別はできる

血圧が高い、上が120を超えたことなんて今まで無かった

いつも、私の行動はオーバーに捉えられすぎる傾向がある。退院して自殺未遂をした時も本気で死ぬつもりなんかなかった。ただ、かまって欲しかっただけのように思う

みんなみんな、相手を自分の思うように動かしたがってるみんなみんな私をお人形のコマのように操りたいだけ、