julycrane0’s diary

ぶれぶれなるままに日暮し

先生に会うのは月一回で先生が私の薬について考えるのは月一回でも、私は毎日薬と向き合ってる、毎晩毎晩飲むことに苛立ちを覚えて飲んだらまた思考が止まるのかなぼーっとして、社会から取り残されていくのかなって、毎晩毎晩考えるその苛立ちを先生は軽く見過ぎだ

私が不安定になるのは3つ。

母に薬を飲めと言われること

資格試験の日程が迫ってくること

人間関係の不調和

人間関係は何で生まれ何で崩れるか、

些細な心の機微にどれだけ反応できるかだろう。薬を飲んでいたら、それへの反応は鈍る。上手くいかなくて苛立たれたり、反感を持たれたりそうやって、<分かってくれないやつ>はいじめの標的にされる。バカだと。今は心の時代だという。今の70代以上は食の時代、40,50代は物の時代、20,30代は心の時代、心を満たしてくれる人を重視するという。鴨頭さんが言ってた。その通りだと思う。薬を飲んでいたら友達の心の変化に気づけない。この前話した会話の内容も思い出せない。言いくるめてくる人の言動にも打って出ることもできない、

薬を飲んでたら環境を変えても人が変わっても、同じミスを犯す、同じように、反応できず、成長できない自分に出くわすだけだ。薬を飲むことは本当に必要か?人生には乗り越えない限り同じ波がやってくる。その波の手前で眠ってしまったら何度も同じ波に呑みこまれる同じようにもがき苦しんで薬は何の助けにもならない。薬は泳ぎかたを教えてはくれない。むしろ邪魔してくる。睡眠薬を飲まされて海に放り込まれてごらんよ、重りがなくても沈んでいくだろう無防備に死んでいくだろう、精神薬とはそういうものだ。社会という海で思考を奪われる。

資格試験についてもそうだろう。何度やっても忘れるかもしれないという恐怖にずっと付きまとわれる。一度覚えたのに思い出せないことがあるからだ。自分の判断に確信が持てない。それは薬を飲み始めてから始まったから。自信がないと自信がないようにしか話せない、それはまた、人間関係、今度は職場の人間関係に影響する。私が生きた時間は無駄だったのか何のために努力してきた何のために生きているいつもそう思う、私の人生に薬はいらない、それが今の私の主張だ。

中には薬を飲んだ方が思考が安定するという人もいる。

そういう人にとっては薬は救世主だろう。

けれど、画一的な思考で患者を見るべきではない。薬を飲むよりも解決策を一緒に試行錯誤してくれる人が必要な場合も多いだろう。