julycrane0’s diary

ぶれぶれなるままに日暮し

ぼやき

手にしたものの数より手に入らないものの数を数えては、心惹かれる。

そんな当たり前をみんな知ってたんだね。あの頃は、決めたことは必ずやり遂げた。すぐ行動に移せてた何時間だって集中して勉強できてた。集中力に限りがあるなんて嘘だ。間違えた問題のなんて間違えたか正解は何か、ハッキリと記憶できてた。赤ペンで色分けした方が記憶に残るという先生の言葉に何言ってんだとふしぎだった。赤だろうが黒だろうが記憶は変わらずそこにある。漫画フルーツバスケットの徹の様になりたくて、

賢さが優しさの一部だと思って、

努力してきたつもりだった。

正義を振りまいた。先生のミスをそれをクラスメイトが間違って覚えたら大変だと、指摘しまくっていた。卒業式の日先生は挨拶しに行った私に会ってはくれなかった。先生を否定していたわけではないのに、教師も一人の人間だったのだと振り返る。

優しさを振りまいて嫌なものは我慢してわたしが我慢すれば済むことと、自分の感情を黙殺した。私は完成されたものと思ってた。二十歳の私は多くの人を説き伏せることに成功していた。

けれど、周りは敵ばかりで、

30を目前に気付いたんだ、わたしの努力は間違った工夫の成れの果てだったことに、わたしの努力はどうしたら楽しい話ができて、相手を楽しませることができるか、どうしたら、正しさに人を導けるか。言葉の創意工夫ばかりに気を使った。自分で書いた文章を何度も見返して楽しんでるのは自分だった。相手が何を感じているか何を求めてるか、そのタイミングで差し出す言葉は何か、それが大切だったのに。そして、最近、それを自然とやってのける子に出会った。3つ4つ年下で、相手の感情に気付いてそっと差し出すその言葉。彼女といると穏やかな心地になれる。苛立ちは生まれない。

 

あぁ、人から学ぶしかないんだなぁ。

出会った人の数だけ、それも様々なジャンルの人にもまれた数だけ人は磨かれる。努力の仕方を知らないままに諦めることを覚えた人が多すぎる。

 

東大生と話してて、分かったんだ。

彼らが磨いてるのは知識欲に基づいた能力じゃない。

自制心と集中力と継続という底力、人間力

もう一度高校生に戻れたら、彼らと同じ土俵に立つ努力をしたい。

大学に行ったらあなたの様に将来について真剣に考えてる人に会えるわよと、私を説き伏せた先生の言葉は半分間違っていて、半分正しい。

高学歴者の層に真剣な人が多いんだなぁ、