■
今週のお題「おとうさん」
父は戦争で両親を亡くして命からがら満州から引き揚げてきた。2歳のころに。
お婆さんに育てられ、左利きだったのをよく火箸で叩かれて右利きに直したものだから、両利きである。
毎朝起きると新聞を読んでいたな。
子供の頃見た父は正義感の強い人だった。
よく喧嘩の仲裁をしていた。走るのが速くて、かけっこはいつも私の負け。
街のソフトボール部の監督をしていたり、近所で子供が生まれると命名書に名前を書いてあげていた。綺麗な字。子ども心に思ったものだ。
よく短歌や俳句を詠んでいたっけ。
家の障子に墨で絵を描いたりもしていた。
日曜大工もお手の物。裁縫も得意だ。
何より物事を成し遂げる力がある。
発明王の盾を会社から何度ももらってきていた。毎年増える賞状と盾。
会社の帽子にはびっしり資格保持者のバッジが並んでた。1つじゃ収まり切らなくて、なん個も帽子を使い分けてた。夜中に母と勉強していたのを覚えている。垢だらけの父の背中をよく洗ってあげるのは渋々だった私。
スペインに工場が出来るといい、技術指導で、何週間か何ヶ月か、帰ってこなかった。私はギャンギャン泣いてたけど、
父には楽しかった思い出の1つだろう。若い頃会社で使う標語の募集に応募して、今でも父の言葉が世界中の工場で使われているという。
それから良く通る声は会社でも評判で、同僚が多く住むこの地区での自治会の飲み会ではマイクを離さなかったけど、ずっと聞いていたいと思える声だった。ずっと昔、まだ十代の父は芸能スカウトに招かれてオーディションを受けて、石原裕次郎より売れると言われたことがあったのだと親戚のおばさんから聞いた。
将棋も囲碁も、相撲に野球もサッカーも勝負事が大好きで、
走っても走っても、父には追いつけない。勤続40年余り定年退職を迎えた父は、「リストラの鐘が鳴るなりゴーンゴン」と風刺し、仲間を想った。あれから、10年
鬱になり、幻に取り憑かれた私のために自分で建てた大きな家も置いて、ずっと、私を守ってくれてる。どうしたら父の夢が叶うのか、子供が功を成すといった占い師の言葉を真にしたい、
父と母が幸せになります様に。