julycrane0’s diary

ぶれぶれなるままに日暮し

見た目の役割意識について

10年前の主張をもう一度きちんと言わないといけないのだろうか、人の噂して批判するならちゃんと読んでから言えよ

 

まず、美人とは存在しない。
平安時代美しいとされたのは下膨れにおちょぼ口、切れ長の目に白い顔、
いわゆる中国朝鮮系の顔立ちだ、明治に入ってからは秀でた額に大きな目高い鼻筋に高い頬骨小さい顔、所謂西欧系の顔立ちだ。
そこからなにが読み取れるか、
美人とは異国への憧れから生まれた概念に過ぎない。
以前、外国に行けたのは知識人であって、“偉い人が書いた書物が主要なメディアであった。
異国へ渡った彼らはヒールを履き颯爽と意思強く歩く女性たちをどの様に描写しただろうか、ブロンドの髪、通った鼻筋、ブルーの瞳、それら外形でしかない。


本来「美しい人」として描かれたそれらを、書面を見て、“美人とはこういうものだと、庶民は外形を記憶してしまったに過ぎない。そもそも時代によって流行る美人は変わってきただろう。


つまり、美人とは異国への憧れから生まれた概念であって、そもそも存在しない。この世にいるのは、「美しい人」と、「そうではない人」だけだ。


それに人の目の見え方は
光の取り入れ方で変わるし、美しさの感覚も要は光と影の作用に過ぎない、カラーコーディネーターを2008年、平成20年に勉強して、そのことに気づいた。
美しさに対して人の反応が違うのはそもそも目の光の取り入れ方、見え方が違うのだ、


にも関わらず、現代人は美人を定義して生きている。美人は得してると言って被害者意識で責める女どもがいるが、本当は真逆である事実を提示しよう。


マイノリティには少数派と共に、差別されるものという、意味がある。

 


美人も障害者、被差別部落同様マイノリティである。


昔のイメージで言えば、不良は美人が多いと言われていた。何故か?
美人は教師に学力面で期待を掛けられる事が少ない。


ハーバード大学が行った実験がある。
教師には学力検査だと言って、子どもたちに試験を受けさせ、適当に子供の名前を挙げこの子らは優秀だと説明した。


教師はその選ばれた子たちに目をかける様になり、結果的にその子らの成績が上がったのだ。


学力検査は全くのでたらめであったが、教師が“期待する様になった子どもたちの成績が上がったのだ。


声掛け、微笑み、期待に満ちた眼差し、叱咤、子どもたちはそれらを感じ取る。

 


余談だが、その真逆が起きると虐めが誘発される。
それらから身を守るために気の強さを演じなければならなくなる子もいるだろう。

 

美人の性格は二極化を辿る。
バリバリ竹を割った様な性格、キャリアウーマンのついて行きます姉さんか、なよなよ男にべったりであの子ダメよね〜な子か、


どちらかにキャラ分けできていなければ虐められてる。


普通の美人って、聞いた事がないだろう。

顔面中途半端が美人の居場所を練り上げていく。
周りからしたら安心できないのだろう。
何もしなくても自分より優れてる
いけすかない奴と思ってるから、


それすら、勘違いなのにね、


美人を見る時人はどっか悪いところないかな?から入り、
そうじゃない人には、どっか良いところないかな?から入る


女子大の子ははっきり言ってきたよ。美人で賢いとかムカつくって、

 

わたしが何をした?何もしていなくても煙たがられた、


小学校に入学したあの時から、生きる意味を失い、死を嫌う神の前で何故生きるのか、問い続けた日々だった


綺麗可愛い美人と言って近づいてきては裏切られた、


まあ、これは私情だ。


社会に目を向けよう

 


芸能界という、界の中の鳥小屋、見世物小屋にいれば生きやすさ、というよりは、居場所を得られはするのだろう。


もし、仮に、芸能人と同じ様な外形のものが同じ職場にいて、自分と同じ人を好きだとしたら、あなたはどう反応する?


表面上は親しくなろうとするだろう、だが、その腹の中は?
アイドルと祭り上げて違う空間の生き物だと線引きすることのできない環境になった時、


自分と比べる意識が芽生えた時、


どうしても手に入れたいものがあった時、排除するために嘘の噂を作る人間を私は目の前で何人何十人と見てきた

 

美人は不幸のシンボルでいなければ受け入れてもらえないのか、


姉に教わった、人は自分が心地よくいられる人と仲良くしたいと思うんだよって、


当たり前のこの原理が私には針の筵に思えた、


社会の中に在る見た目に高低差をつける感覚が消えない限り、友達ができることはないのだと、私はダイアナが欲しかっただけなのに、赤毛のアンシャーリーに出来た親友の名。


若い時、友人も居らず、教師から目をかけてもらえず、期待されず、むしろいじめの標的にされ、就職先も顔を売る接客とかが関の山で、年老いて美しさも失った時、何も手にできなくなる、それすらも勘違いした女どもにとってはざまあみろと笑いの対象に過ぎなくなるのだ、


虐めについてずっと考察してきて、マウスの実験の論文を応用したのを覚えているだろうか


挙動不審なものやブスや美人等目立つもの、目に留まるものを見たとき、人の瞳孔は開く。


それ以前に、怒りを感じた時も同様で、記憶の誤変換が起こる。


別のことで怒っていたのに、目の前でキラキラしてる美人に憤りが転換されてしまうのだ。怒りが置き換わってしまうから、美人は嫌われやすい。


顔面中途半端は自身の身勝手な怒りを正当化する為にあらゆる手段を使うが、
自分の行いを恥じることも、反省することもない人間が多い。
少なくとも美人を貶して反省してる顔面中途半端を私は見た事がない。


それは美人は得をしているという思い込みだ。顔面中途半端の家系に流れるその噂、自分たちで少数派の美人を貶めるために作った噂で、
自分たちが“得をするために子に代々受け継いだ思想だろう。そもそも、あなたが特別視して区別しなければ美人が特別になることはないのに、自分たちで祭り上げておいて、美人ばっか得して!というのは、お門違いも甚だしい。

 

美人に起こるシンデレラストーリーが色んな童話や民話、落語や小説に語り継がれてきたのはそれが滅多に起こることではないから面白く、
珍しいものであったからだろう。雨月物語を読んでみたら?落語を聞いてごらんよ、グリム童話の原作は実は実母からの仕打ちであったこと、母でさえ美しさに嫉妬するのだ、


マリリンモンローが言ったでしょう、誰にも気に留められることがないのならシンボルでいたほうがいいって、


悲しみの中でもがいてきた人の輝きを一瞬輝いたその剥がれかけた鱗を眺めては、それすらも欲する顔面中途半端の貪欲さには背筋が凍る大嫌いだ。


だが、改めて主張しよう。美人とは存在しない。


得をしてもい無い。


ただあなたが祭り上げなければ、同じ人で在ることに変わりはないのに、


見た目の役割意識を取り払って、


顔面中途半端は美人を貶して自分を守ろうとする無意味なことをする必要もないし、
美人も自分は特別だなんて思うこともできないよ。


皆んな、同じ人で在るのだから、


「美しい人」を目指して行こう
見た目の役割意識を取り払って、みんなが最高のパフォーマンスを発揮する様になったら

 


その先に日本国民総エリート計画の話をしたんだ。