julycrane0’s diary

ぶれぶれなるままに日暮し

認知症と統合失調症

大学生の時、実習で行った高齢者施設でこんな話を聞いた。下の世話をされるようになると、認知症が一気に進むのだと。

認知症は自我の最後の砦なのだ。

 

統合失調症も、別名、若年性認知症と呼ばれていて、その仕組みは似てると思った。

 

高い志、願い、夢、理想、それらと、現実の自分や環境、事象の間に葛藤が生じ、脳のジレンマが起きる時、

 

統合失調症を発症する。

が、その時、思い通り叶う様、努力し続けて結果を手に出来たなら、何も問題はない、成功者に過ぎなかっただろう。

自分を受け入れられない脳の葛藤なのだ。

 

私の場合はその葛藤を薬によって与えられた。中学、成績優秀で、人を笑わせることに喜びを見いだした半年可愛い可愛いと引っ張って行かれてただ照れていた半年を過ぎて、始まった虐め、

 

高校に入学した後も薬を飲み続ける様言われたけれど、

 

私は学業に全集中を掛ける自我と、薬のそれを眠らせようとする作用の拮抗を経験した。

その時は薬が何に作用するものか知らなかった。ただ、朝昼晩、ドグマチールルーランリスパダールを数錠ずつ飲んでいた。出ると言われた副作用は、真逆のことが起きた。

便秘、太る、眠くなると言われたが、毎日下痢、ガリガリ、授業中の冴える感覚、

予習や復習はせず、授業中に先生の説明を聞きながら教科書のページを先々と読み進めて行って、先生の言ってることは教科書のこの説と矛盾してませんか?と、質問していた漢字のミスも見逃さなかった。

 

なぜそれが出来たか、

 

私は休み時間の15分ずっと神に祈ってた。

授業中眠くなりません様にお腹が鳴ったりしません様に机を動かす音がおならだと勘違いされません様にしゃっくりが出ません様にシャーペンの芯がくるくる回りません様に他にも家族や親類の名前を一人一人挙げて起こりそうな不安を全部列挙して神に祈ってた。

 

要は授業に集中出来なくなる可能性のあるものを全て取り除いていたのだ。

 

それは薬の意図と真逆である。

 

私が経験したのは幼少期に不必要に与えられ続けた努力を無きものにしようとする薬と努力を求める脳の葛藤だった。

 

その後、プツリと願いが弱まった途端、ドッと薬に支配されたのを経験している。

 

願いを持つ度に、そしてそこに迷いが入る度、それは繰り返された。

 

認知機能障害、それは薬に意思があると仮定すると、薬の願いだ、つまり医師の願いだろう。

 

認知症にならない為の方策は、自然の中で生きて、老いて行く自分の限界を理解しながら少しずつ欲を捨て穏やかに生きて行く事だ。

 

統合失調症も、死ぬほど努力することを止められずにいられる環境と結果を手にすること、願いと身の丈を擦り合わせて、欲を調整して行けば治るし、統合失調症になることはない。

 

そう、2011年に主張した。

 

そうそう、美魔女と呼ばれる美しさに固執し、老いて行く自分を受け入れられない人程、それが消えかけた時、認知症になる度数は高めと推察する。