julycrane0’s diary

ぶれぶれなるままに日暮し

ああ

原発汚水の海洋放出が決まったそう。放出するんじゃ無くて、
海水を汲み上げて、汚水と海水を混ぜて凍らせるのがいいと思うんだが。
神が一つ、死ぬよ?
人は神の体内の一部
神が風邪にかかれば人の動きも鈍くなり全ての人が学びを得て活動し始める時、神の賢さも増す、そう、2015年に言った通りだメビウスの輪の様に、神と人は繋がってる。人もまた、体内生物からしたら神だ。
自分という身体を、細胞という生物を統治している。人は死ぬと自分の一部になるんだ。細胞が何兆もある中で、今、あなたが選ばれ、あなたになった。部下があなたに不足を感じれば、死後、或いは認知症の時、貴方は体内へ潜っていき、部下、細胞へ、働きから逃れることのない地獄へと落ちていく、自分の敵は、常に自分なんだよ。だから、自分を大事にしな。自分が反旗を翻さない為に、あなたが、生きながらえる為に。
つるより。

20210406

 

馬鹿女共、
人のこと整形呼ばわりしなきゃ自分の事保てないのか、可哀想だけど、うざい。
心がブスに染まった人間には関わりたくない、
心考ブスの何がブスって、その卑屈な欲で周りを巻き込もうとするところだ。自然淘汰されていくのが恐いのだろう。何もしなければ例えば、美人を引き摺り落とさなければ自分には選ばれる価値がないとでも思ってんだろう?知らんけど、単なる快楽なのかも知らんけど取り敢えず、あんたは自分で望んであんたになったと言う事、あんたの行いがあんたを形作ってる事を知れ
あのなあ、30年生きてきて気付いたけど、
男は別に優れた美女を求めてはいないよ。
自分が心地良くいられる者と一緒になりたいと思うもの。男が自分が一番でいられるのは、どんな時か、考えてごらん。
例えば乱暴でガサツで我の強い女がモテるのは、それをお前やめろって、制することの出来る自分の方が優れてると心地良くなるだろう。自分が言えないことをスパッと言ってくれる口の悪い女の方が旦那がいる理由はそんなとこだ。そして、一人一人心地よくなるコアは違う。モテる女なんていないよ。ただ、相手の好意にすぐ勘づいてキャッチする者がすぐ彼氏ができるだけの話さね。
それに、あんたの隣の彼氏があの子可愛いと言ったとして、あんたが捨てられてその可愛い子に寝返る可能性がどれほどのものだと思うの?
道端で出会っただけの、二度と会うこともないかもしれない美人を貶めたとして、あんたになんの得があるの?
昔はさ人の流動が少ないから寝返られる可能性は少しはあったかもしれないけど、今その発想で通りすがりの美人をディスるのはぱ〜かだね。同じ人間なんだよ、あんたは生まれ変わっても美人にはならないだろうね。あんたが望んでいないから。望んでたら美人を貶したりはしないだろう。自分で望んでその容姿になってる事実に早く気付いてそれを生かす道をさっさと探せばいいのに、隣の芝生に躍起になっててどうすんだい?人生は短いんだよ。

比較

メンタリストDaiGoさんの動画

「無駄に自分を責めずに生きれるようになる」より障害者向け考察。

 

「自分と他人を比べない。」

他人は良く見える。他人と比べると自分の持ってる筈のレジリエンス、強みや回復力に目が向かなくなる。本来持っているはずのものに目を向けず、短期間にウロウロしてしまう。こっちがいいかも、あっちがいいかも、

続かなくて結果をいつまで経っても手にできない。→余計に自信がなくなる。そんなサイクルがあると思う。

 

以下目次だけ抜粋

失敗は学習

自分と他人を比べない

正解は一つじゃない

自分が信じるものを支持しよう

批判者を学習対象にする

自分の弱点は特徴

自分の過去を冒険物語として捉える

100種を100回試すまでは自分の才能を見くびるな

怒りをクリエイティブに発散する

成功を一緒に喜んでくれる人の中に身を置く。

 

よく今を受け入れてからでないと進めないというけれど、

自分を受け入れるってどういうことなんだろう、諦めることと同じではないよな

認知症と統合失調症

大学生の時、実習で行った高齢者施設でこんな話を聞いた。下の世話をされるようになると、認知症が一気に進むのだと。

認知症は自我の最後の砦なのだ。

 

統合失調症も、別名、若年性認知症と呼ばれていて、その仕組みは似てると思った。

 

高い志、願い、夢、理想、それらと、現実の自分や環境、事象の間に葛藤が生じ、脳のジレンマが起きる時、

 

統合失調症を発症する。

が、その時、思い通り叶う様、努力し続けて結果を手に出来たなら、何も問題はない、成功者に過ぎなかっただろう。

自分を受け入れられない脳の葛藤なのだ。

 

私の場合はその葛藤を薬によって与えられた。中学、成績優秀で、人を笑わせることに喜びを見いだした半年可愛い可愛いと引っ張って行かれてただ照れていた半年を過ぎて、始まった虐め、

 

高校に入学した後も薬を飲み続ける様言われたけれど、

 

私は学業に全集中を掛ける自我と、薬のそれを眠らせようとする作用の拮抗を経験した。

その時は薬が何に作用するものか知らなかった。ただ、朝昼晩、ドグマチールルーランリスパダールを数錠ずつ飲んでいた。出ると言われた副作用は、真逆のことが起きた。

便秘、太る、眠くなると言われたが、毎日下痢、ガリガリ、授業中の冴える感覚、

予習や復習はせず、授業中に先生の説明を聞きながら教科書のページを先々と読み進めて行って、先生の言ってることは教科書のこの説と矛盾してませんか?と、質問していた漢字のミスも見逃さなかった。

 

なぜそれが出来たか、

 

私は休み時間の15分ずっと神に祈ってた。

授業中眠くなりません様にお腹が鳴ったりしません様に机を動かす音がおならだと勘違いされません様にしゃっくりが出ません様にシャーペンの芯がくるくる回りません様に他にも家族や親類の名前を一人一人挙げて起こりそうな不安を全部列挙して神に祈ってた。

 

要は授業に集中出来なくなる可能性のあるものを全て取り除いていたのだ。

 

それは薬の意図と真逆である。

 

私が経験したのは幼少期に不必要に与えられ続けた努力を無きものにしようとする薬と努力を求める脳の葛藤だった。

 

その後、プツリと願いが弱まった途端、ドッと薬に支配されたのを経験している。

 

願いを持つ度に、そしてそこに迷いが入る度、それは繰り返された。

 

認知機能障害、それは薬に意思があると仮定すると、薬の願いだ、つまり医師の願いだろう。

 

認知症にならない為の方策は、自然の中で生きて、老いて行く自分の限界を理解しながら少しずつ欲を捨て穏やかに生きて行く事だ。

 

統合失調症も、死ぬほど努力することを止められずにいられる環境と結果を手にすること、願いと身の丈を擦り合わせて、欲を調整して行けば治るし、統合失調症になることはない。

 

そう、2011年に主張した。

 

そうそう、美魔女と呼ばれる美しさに固執し、老いて行く自分を受け入れられない人程、それが消えかけた時、認知症になる度数は高めと推察する。

 

本音

ここ一、二年、浮かび上がってくる思想に苦しんでいる。違うと、説得してくれるなら、大歓迎だ。

 

障害者とは何か、特に精神障害者とは?

私は精神障害者は2通りいると思った。

 

努力することを放棄し、弱者でいることを利用して潜在意識の中甘えて生きているものと、

社会から歓迎されない個性を持ち合わせたが為に、押しやられて障害者になるもの。

前者の道は二つある。スパルタ心ブートキャンプで鍛えて価値観を変えるか、薬と医師にほだされて自然淘汰され消えて行くか。

後者は時代が変わるのを待つか、自分を騙して社会に溶け込む努力をするかだ。

 

前者の障害者に叱咤するのは、病院、デイケア、作業所、就労移行支援、支援センター、ショートステイ、ロングステイ、彼らの中にいて、その実態に気づいたからだ。ただいるだけで嫌がらせをされた。作品を壊されたり、嘘の噂を広められたり、

 

感情的で中学生みたいな連中だと思ったのと同時に、ああ、彼らは、自分が一番でいたいんだ、特別でありたいんだ、だけど、一般じゃその能力が及ばないと、限界に気づいた気になって、てゆうか、面倒なんだろう?努力の仕方とその先の楽しさを知らないが為になんだろうけど、努力せずに、人を引き摺り下ろすことで自分を保つ、狡賢くて、陰湿で、子供のままでいたくて、かまってちゃんで、特別でありたい人間の欲の塊だと知った。

その為に弱さを武器に障害者というポジションを利用してるんだ。

 

わたしは中学で虐められて、鬱の薬を飲み、障害者へと移行して行った。ずっと、障害者とは存在しないと主張してきた。前あった統合失調症掲示板にも書いてたが、アメリカの精神科医が言っている、我々は程度の差はあれど、みな精神異常者です。と、なら障害者と線引きすることに意味はあるのか

私は社会から歓迎されず弾き出された部類の人間だ。そんな中で、もう障害者として生きなくていいと言ってくれる医師に2018年に出会った。私は嬉しくて嬉しくて、障害者仲間にその先生を紹介するよと話した。でも、彼女は喜ばなかった。いいよ、障害者で。そう言った。本音なんだろう。言い訳ばかりする彼女にとって、障害者認定は、救いなんだ、

私はそういう人達と同列に扱われることに嫌悪感を抱く。

 

支援する人達にお願いしたい。

 

その障害者が、どちらの部類の人間で、本来、元来、何を求めているのか、

そしてそれは社会にどう影響を与えるのか、それを見極めて、使う言葉と、支援を、変えて頂きたい。

 

私の思想は差別ですか?

 

2015消えたノート覚書

人の世界はサークル、円を形成している

一つのサークルを出ても同じ様な人の輪に出会う。

名前も顔もどこかあの人に似てるこの人、

一つのサークルから逃げ出しても乗り越え無い限り、同じ試練がやってくる。

 

与えられた課題を乗り越えるたび、横のサークルから縦のサークルへ移動する。

 

一人一人、課題は違くて、だから、いつでも敵は自分自身なんだ。

 

目の前の事象は、自分を教えてくれる。

 

誰かが書いた葉書の詩を思い出す。

「逃げたら逃げた分だけ追いつかれるよ。」

その通りだと思う

聖書が教えてくれた、「人は塵だから」

人は小さな微生物の集合体なんだと人の中にもサークルがあるのかな。もしかしたら、意識がマトリョーシカの様にメビウスの輪の様に体内と現実の私のこの感覚とを反転してるだけなんじゃないか。

幻や、夢、予知夢が在るのは、すでに起こっていたことがあって、同じゲームを繰り返している様に感じた。神様のTV電波人生ゲーム。乗り越え無い限り、先へは進め無いんだ、

そんな試練の繰り返しの中で、成長、進化し、精神成熟を果たして行く。

そしていつか、誰からも嫌われず誰のことも疎まず全てを許し受け入れられる、そんな賢者たちの楽園がもう既に、何処かにあって、どんな苦しみも思い出話に、華を咲かせているのだろう。その道筋を神は知っているから、一々一つ一つの苦しみを苦労もし無いで助けを求める人を神は救いはしない。

ただ、その社会、サークルには役割があって、それを維持したり助けたりするために努力する人には手を貸すだけのことだ。だから、人には役割があるけれど、願いと努力で役割を勝ち取ることはできる。

そんな中で精神疾患者は、努力を放棄している。私は精神障害者をこう定義する。

努力の仕方も知らないままに努力を放棄し、努力しなくていいことを容認されている人。工夫が足りないし、極端な思考が目立つ障害者をよく見るが、経験の乏しさからきているのを私は目の当たりにした。そして、頑張らなくてもいいというその言葉に流され、自然淘汰されて行く運命に身を委ねるのだ、

障害は、性格ではないかもしれ無いけれど、その人の価値観は障害を欲してる。

 

ここでいう、価値観とは、過去出会ってきた全ての事象、潜在意識を形作っているもの。

先祖の思いも含まれるだろう。経験してきた感情は遺伝子に組み込まれていく、大昔の狩猟民族の名残が残るというのなら、一世代まえの母親の感じた感情が子どもの性格を決めるのではと私は2012年にはせさんと話してた。

だから、私は子供を産まないと決めた。死を願い続けた私の苦しみを受け継がせることはできない。